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吉野歯科診療所の治療哲学

 吉野歯科診療所の治療哲学

 
1966年以前、恐らく1955年位に横浜市旭区中希望が丘(当時は横浜市保土ヶ谷区中希望が丘)131番地、現在の希望が丘駅南口交番の裏手付近に滝見(だと思います)歯科医院さまがありました。現在の吉野歯科医院の院長吉野練太朗が日中は神奈川歯科大学で教鞭をとりながら、ここで勤務医として夜間開業していました。ですから、今から50年以上まえにすでにここには歯科医院がありました。滝見先生がお亡くなりになり、吉野練太朗が1967年にこの地に吉野歯科医院として新に開設しました。吉野歯科医院としては開設して38年以上になります。滝見歯科医院、吉野歯科医院、そして今回設立された吉野歯科診療所と継続して30年、40年と通院していただいている患者様、そして3世代以上共に通院していただいているそのご家族も多数いらっしゃいます。「歯科ユニット」患者様冥利であり、こころから皆様には感謝いたしております。現在では当たり前ですが開設当初より、治療のみならず予防に重点をおいた診療をこころがけていました1974年に現在の場所、患者様には本当に登山のようでご迷惑をかけていすが、当時の吉野歯科医院より坂道をあがった頂上付近に移転しました。当時から歯科衛生士を数人をおき、現在では当たり前の口腔衛生指導を精力的に行っていました吉野歯科医院では診療室による治療だけでなく、15年以上前から、在宅診療(往診)や校医をおこなっている横浜市立南希望が丘中学校での健康教育授業など、公衆衛生の向上と保健指導にも力をいれています。この分野では横浜市でも先駆けです吉野練太朗は学術的にも積極的に取り組み、神奈川歯科大学の非常勤講師は現在でも継続中で、研修医の授業などを行っています。また、スタディーグループも設立しおり、現在は会長は二俣川の佐藤歯科医院の佐藤隆幸先生に代替わりしていますが、活動は20年ほどになり、地域医療の知識と技術向上に貢献しております私こと現吉野歯科診療所の所長、平成18年2月までの副院長吉野敏明は、平成7年より吉野歯科医院に勤務いたしました。当初、私は東京医科歯科大学で歯周組織の再生の研究をしていましたが、研究よりもどうしても患者様とのふれあいのほうが楽しく、臨床を中心に科学をしていくスタイルを日本で初めて確立したいと思い、父親である吉野練太朗と共に臨床することを決意しました。週に2日ほど、調布の矢野歯科医院の矢野章先生のところで治療を学び、週一日は東京医科歯科大学で専門治療を学び、残る週3日は吉野歯科医院で父親と治療を行いながらも、ほぼ毎日、夕方から夜、時によっては深夜から朝まで10年間、東京医科歯科大学に戻り、再生医療の実験と研究そして論文執筆などの基礎を学びました。ですから、臨床と研究の2足のわらじを10年ほど履いていました。この時期は非常に辛くも今思えば私の現在の地位を築くのに大切な10年でありましたこのような実験医学と研究論文に基づく科学的な治療と、40年以上吉野歯科医院で続いた、患者様の心を大切にした“納幸者”医療の高い次元での融合を目指し、1998年に私は臨床基礎歯科談話会という研究会を立ち上げ、吉野歯科医院の代診という肩書きを若い先生に与えつつ、臨床と研究を指導してきました。「ウォーターピック」現在では彼らは一流の臨床家になりつつあり、積極的に学会発表をおこなったり、歯科界の学術雑誌などに投稿してアクセプトされたり、海外に研究員として赴任する者までになりました。この臨床と研究を高度に融合させつつも、各々がより専門的に活動を行うため、事業を分離し、吉野歯科医院から発展的独立して、吉野歯科診療所とYokohama
 
Bay Dental Institute Inc.とすることにいたしました吉野歯科診療所は高度に専門化した治療と、他院では治療困難とされた難疾患に対する救済医療機関として位置づけ、さらに認定医や認定衛生士を教育するための役割を果たす予定です。そして、Yokohama Bay Dental Institute では疫学研究と他院での診断依頼を主業務として行いながら、ひろく一般歯科医師や歯科衛生士、なにより患者様や一般の方々への健康教育の啓発の場として皆様に活用していただければ幸いです。そのコンセプトは誠意と真実と敬いです。